私にとって「考えること」とは
初めまして。東大工学部所属の「勝手に考える人」です。
私は昔から、様々な事柄について思案を巡らせること、またその考えを誰かとぶつけることが大好きな人間です。いかにも東大生でしょ?
しかしながら、私は特別知識が豊富なわけでもなく、当然ながらいつも正しいことを考えているわけではありません。
そんな私が「勝手に」考えたことを、あわよくば誰かの意見とぶつけられればいいなあと思いながら日記として残すのが、このブログの目的です。
「考える」を定義したい
初回である今回は、このブログですでに何度も登場し、これからも幾度となく登場するであろう「考える」という言葉についてのお話です。
とはいえ、今回は「考える」ことを「考える」のではありません。
だってそれじゃあ話がループしちゃってるでしょ?
では、今回のお話は何かと言いますと...
今後の話を論理的に進めるため、私が今後使う「考える」とは具体的にどういうことなのか決めてしまおうというものです。
数学で言うところの「公理」みたいな認識ですかね。
そこまで厳密で高尚なものではないですが笑
身勝手に考える
では早速私の「考える」の定義をのべてしまいましょう。それは、
- ある事柄を、論理的かつ数値的な基準で分類ないし再定義して解析する。
- その道具として用いるのは、現在の私が持つ知識や体験に限る。
- それ以上の詳細な解析が不可能だと思われた時点をゴールとする。
- 結果として得られた認識の社会的、学問的な正しさは気にしない。
です。
正直自分で書いてみてもふわふわしてますが、簡単に言うと
「自分の中では正しいと思えるように、理屈をつけて判断する。自分がスッキリすればいいので
合っているかは知らない。」
ってことですかね笑
あくまでも根底にあるのは、
「暇なときに1人でぼーっと考えているようなことを文字にしたい」
という考えですので、こんな風になってしまいます。
とにかく今後は、こんな感じで様々な事柄について「考えて」いきたいと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。